higoto。
茨城の片田舎で日々、HP制作&運営をしている管理者(onose.net)のブログです。 メインサイトの http://www.onose.net/ もよろしくです。
スポンサーサイト
| BACK TO TOP |
川崎フロンターレ戦
観戦に行くかどうか迷ったけれど、チビが傷心しているのが気になり
マッチデーに申し込んで参加、試合観戦することにした。
途中、深作農園のバームクーヘンを購入。
甘いものが好きだった親父へのお土産と、相方の仕事場に御礼も
兼ねて、お土産として持っていくために・・・。
味見したけど、美味・・・オススメです。

マッチーデーは個人参加なので、別のチームに混ぜてもらい、今日は
ボク伝グランドで、鹿島スタジアムを見ながら試合・・・自分は観戦。

内容は、急造チームだし・・・予選敗退。 チビの活躍する場面は
ありませんでした・・・残念。
で、鹿島スタジアムの試合は、リーグ戦は2試合目の観戦。
初戦以降は、震災と看病、告別式などで、参戦できなかったので
久しぶりのバックスタンド2階になる。


直ぐそばから、このライトを見ると、ちょっと異様である。

試合中のライティングの感じは、以前の1階建ての時の鹿島スタジアムの
感じがでていて、懐かしかった。
ただ、試合内容は・・・2点取っていて、後半最期に追いつかれるなんて
あってはならない状況といえる。
いろんな面から考え直さないと、建て直しが間に合わなくなる。
正直、震災以降、仕事が無い状態が続いているので、次回、参戦できるかは
不透明のままである。
マッチデーに申し込んで参加、試合観戦することにした。
途中、深作農園のバームクーヘンを購入。
甘いものが好きだった親父へのお土産と、相方の仕事場に御礼も
兼ねて、お土産として持っていくために・・・。
味見したけど、美味・・・オススメです。

マッチーデーは個人参加なので、別のチームに混ぜてもらい、今日は
ボク伝グランドで、鹿島スタジアムを見ながら試合・・・自分は観戦。

内容は、急造チームだし・・・予選敗退。 チビの活躍する場面は
ありませんでした・・・残念。
で、鹿島スタジアムの試合は、リーグ戦は2試合目の観戦。
初戦以降は、震災と看病、告別式などで、参戦できなかったので
久しぶりのバックスタンド2階になる。


直ぐそばから、このライトを見ると、ちょっと異様である。

試合中のライティングの感じは、以前の1階建ての時の鹿島スタジアムの
感じがでていて、懐かしかった。
ただ、試合内容は・・・2点取っていて、後半最期に追いつかれるなんて
あってはならない状況といえる。
いろんな面から考え直さないと、建て直しが間に合わなくなる。
正直、震災以降、仕事が無い状態が続いているので、次回、参戦できるかは
不透明のままである。
告別式
人生の中で、1番暑い日だったのではないだろうか?
告別式の準備は、基本、兄貴が行った・・・御袋は、端から見ても
何かできる状況ではないというのが解った。
自分と相方は、裏方に徹して、雑用をこなしていく・・・。
親父方の親戚は、頼れない・・・頼りたくない事情が実家にはある。
自分も幼かったが、今でも鮮明に当時のことは覚えている。
あの親父と御袋の受けた仕打ちを考えると、告別式にも
呼びたくないという思いもある。
ただ、親父の兄弟である。
色々、首を突っ込みたかったようだったが、兄貴が首を縦にふらず
最低限の関係で留めた。
親父と御袋が大変だった当時、特に世話になった親戚は、御袋の
実家や兄弟だった・・・特にお袋の直ぐ上の姉に当たる叔母夫婦は
兄貴と自分を自分の子供のように目をかけてくれた・・・。
その叔母も4月の下旬に逝ってしまった。
何も恩を返せないままだった・・・。
そして親父の告別式。
喪服の中は、汗でビッショリだった・・・。
29歳の時、一緒に絵で飯を食うのを目指した友人が事故で逝った。
31歳の時、幼なじみの一人で、高校時代、美術部の友人が
病気で逝った。
一昨年、ひとつ年下だが、一緒に絵を描き、グループ展を開き、
29歳の時に逝った友人の作品を気にしていた友人が病気で逝った。
・・・3人とも中学・高校と一緒で、高校は美術部の仲間だった。
同じ中学を卒業して、同じ時期に美術部で活躍した友人がいなくなった。
彼らとの約束は、何も実現できていない。
今年、3月に大震災があり、音信不通になっている友人や知人の
安否が気になっていた。
何もできない自分に無力感を感じていた・・・心が痛い。
そして、4月にお世話になった叔母が逝き、19日に親父が逝った。
感謝をどうやったら表せるか解らないほどの人が逝ってしまう。
何もできない自分を残して・・・。
自分は親戚・従兄弟の中でも、一番下にあたる。
甥っ子、姪っ子はさて置き、順番から言えば、自分がみんなを
見送る立場になる・・・辛い。
せめて友達や相方には、自分を見送って欲しい。
心の痛いのは、耐えられない。
親父に言ったら、怒られるだろうけど・・・。
告別式の準備は、基本、兄貴が行った・・・御袋は、端から見ても
何かできる状況ではないというのが解った。
自分と相方は、裏方に徹して、雑用をこなしていく・・・。
親父方の親戚は、頼れない・・・頼りたくない事情が実家にはある。
自分も幼かったが、今でも鮮明に当時のことは覚えている。
あの親父と御袋の受けた仕打ちを考えると、告別式にも
呼びたくないという思いもある。
ただ、親父の兄弟である。
色々、首を突っ込みたかったようだったが、兄貴が首を縦にふらず
最低限の関係で留めた。
親父と御袋が大変だった当時、特に世話になった親戚は、御袋の
実家や兄弟だった・・・特にお袋の直ぐ上の姉に当たる叔母夫婦は
兄貴と自分を自分の子供のように目をかけてくれた・・・。
その叔母も4月の下旬に逝ってしまった。
何も恩を返せないままだった・・・。
そして親父の告別式。
喪服の中は、汗でビッショリだった・・・。
29歳の時、一緒に絵で飯を食うのを目指した友人が事故で逝った。
31歳の時、幼なじみの一人で、高校時代、美術部の友人が
病気で逝った。
一昨年、ひとつ年下だが、一緒に絵を描き、グループ展を開き、
29歳の時に逝った友人の作品を気にしていた友人が病気で逝った。
・・・3人とも中学・高校と一緒で、高校は美術部の仲間だった。
同じ中学を卒業して、同じ時期に美術部で活躍した友人がいなくなった。
彼らとの約束は、何も実現できていない。
今年、3月に大震災があり、音信不通になっている友人や知人の
安否が気になっていた。
何もできない自分に無力感を感じていた・・・心が痛い。
そして、4月にお世話になった叔母が逝き、19日に親父が逝った。
感謝をどうやったら表せるか解らないほどの人が逝ってしまう。
何もできない自分を残して・・・。
自分は親戚・従兄弟の中でも、一番下にあたる。
甥っ子、姪っ子はさて置き、順番から言えば、自分がみんなを
見送る立場になる・・・辛い。
せめて友達や相方には、自分を見送って欲しい。
心の痛いのは、耐えられない。
親父に言ったら、怒られるだろうけど・・・。
心が張り裂けそうな日
このブログは、19日には書いていません。
心が痛くて何も文字にする事ができなかった・・・。
絵で表現するには、もっと時間が必要だと思いますが・・・。
2011年(平成23年)6月19日(日)10時30分。
親父が逝った・・・76歳だった。
心不全からの多臓器不全とか・・・。
危篤状態になって2週間、頑張ってくれた。
家族に別れる為の心の準備をさせてくれたのだろうか?
・・・まったく心の準備はできなかった。
この2週間、仕事も無い状態だった自分は、時間を見ては病院にいた。
それ以上に兄貴は、会社を休み親父のそばにいた・・・。
御袋は云うまでも無い。
自分の相方も時間を遣り繰りしては、病院へ来たり、みんなの変わりに
雑用で動いてくれたり・・・。
チビは学校が終わると病院へ・・・「おじいちゃん頑張れ」と・・・。
治るかも知れないという心の中の望みにかけて・・・。
眠るように逝ったそうだ。
みんなが、自宅へ戻っているときだった。
病院から自宅へ戻る途中、幼なじみ・・・4歳から付き合いのある友人に
電話した、冷静に報告はできなかった。
他の友達には、電話で話をすることができる状態ではなかった・・・。
声が出ない・・・声を出そうとすうと、嗚咽になってしまう。
心が痛い。
家族の中で、1番、迷惑と心配をかけていた・・・。
ワガママで好きなことばかりやっていた自分を、1番、気にかけて
くれていたのも、親父だった・・・。
そんな親父に親孝行はできなかった。
震災後、入院した後も、仕事が無い状態で心配をかけたままだった・・・。
孫を見せられて、孫と遊ぶ時間を作ってあげられたのが唯一の
親孝行だろうか。
心が痛い。
心が痛くて何も文字にする事ができなかった・・・。
絵で表現するには、もっと時間が必要だと思いますが・・・。
2011年(平成23年)6月19日(日)10時30分。
親父が逝った・・・76歳だった。
心不全からの多臓器不全とか・・・。
危篤状態になって2週間、頑張ってくれた。
家族に別れる為の心の準備をさせてくれたのだろうか?
・・・まったく心の準備はできなかった。
この2週間、仕事も無い状態だった自分は、時間を見ては病院にいた。
それ以上に兄貴は、会社を休み親父のそばにいた・・・。
御袋は云うまでも無い。
自分の相方も時間を遣り繰りしては、病院へ来たり、みんなの変わりに
雑用で動いてくれたり・・・。
チビは学校が終わると病院へ・・・「おじいちゃん頑張れ」と・・・。
治るかも知れないという心の中の望みにかけて・・・。
眠るように逝ったそうだ。
みんなが、自宅へ戻っているときだった。
病院から自宅へ戻る途中、幼なじみ・・・4歳から付き合いのある友人に
電話した、冷静に報告はできなかった。
他の友達には、電話で話をすることができる状態ではなかった・・・。
声が出ない・・・声を出そうとすうと、嗚咽になってしまう。
心が痛い。
家族の中で、1番、迷惑と心配をかけていた・・・。
ワガママで好きなことばかりやっていた自分を、1番、気にかけて
くれていたのも、親父だった・・・。
そんな親父に親孝行はできなかった。
震災後、入院した後も、仕事が無い状態で心配をかけたままだった・・・。
孫を見せられて、孫と遊ぶ時間を作ってあげられたのが唯一の
親孝行だろうか。
心が痛い。
| ホーム |



